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《ありえるはずの社会》と《アーティスト》の関係を科学する -解体新所#05レポート- 【後編】

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新しい【場】を作る実践者とともに、そのユニークな構造を考察するトークシリーズ「解体新所 ―まだ名前のない【場】を科学する―」。2017年7月4日に開催した第5回は、美術家・北澤潤さんをゲストに迎えました。後編は、北澤さんとロフトワーク松井によるトーク・セッションをご紹介します。

前編はこちらから

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デザインだけが、クライアントワーク?


北澤さんによるプレゼンテーションの後はトークセッションへ。研究員・松井との対話からはじめ、参加者も含めて考えを深めていく時間です。

松井 最近はもう馴染んできましたが、10年、20年前だといわゆる「アート」とは、美術館で鑑賞するものでした。芸術祭のように、地域に出て行く「アートプロジェクト」が浸透してきたのは最近ですよね。北澤さんには「アート/アートプロジェクト」「アートプロジェクト/デザインプロジェクト」のような棲み分けはありますか?

ちなみにロフトワークは、デザインプロジェクトを手がけていて、基本的には「クライアント」「与件」「オーダー」があります。予算や期間が決まっていて、制約と課題をデザインの手法で解決していきます。

北澤 なるほど。デザインプロジェクトについては詳しく分かりませんが、アートプロジェクトもクライアントワークになりかねない側面はありますよ。例えば、【リビングルーム北本団地】は、埼玉県北本市のまちづくり事業の一環としてはじまりました。市内のどこで何をするのかは自分で決定しましたし、最終的には行政から離れ自主的なプロジェクトとして継続していきましたが、アーティストも行政や企業から投げかけをもらって動くことはあります。
 
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難しいのは、アートプロジェクトに限らず、アートにはクライアントがいないかって話です。例えば肖像画には間違いなくクライアントがいたわけで、一概にアートは与件やオーダーと無縁だと言い切ることはできません。ただ、今この時代にどうノンクライアントであるかは重要だなと思います。僕がこれから手がけるインドネシアのプロジェクトは、完全にノンクライアントワークです。

松井 インドネシアのプロジェクトは、自発性がかなり強い?

北澤  はい。去年暮らしながらリサーチを重ねた時の実感から立ち上がっています。その上で、現地のアートコレクティブや建築家などとのコラボレーション、それに様々な団体からの資金援助によって実現します。

松井 そのほうがよりピュアな活動になりますか?

北澤 そうですね。もちろん、依頼を貰えることも大事だと思います。でもやっぱり、来たボールを全部打ち返してるだけになると、どんどん「分かったふり」になってしまう。器用になりすぎる気がします。

デザインプロジェクトには、スタート地点にクライアントのオーダーがあるとしたら、アートプロジェクトは本来アーティストがスタート地点に立つ。そこには「言い始める責任」と「受け止める責任」があるんです。地域の人たちが「私、サンセルフホテルのホテルマンだから」と胸を張ってくれているとしたら、サンセルフホテルを言い出したものとして、その状況を自分なりに受け止める。コントロールはしない。フラットな関係性を作るんです。

 

もしもアーティストをビジネスプロジェクトに招くなら

松井 もう少しだけ、デザイン文脈に寄せて話をさせてください。クライアントのプロジェクトで、科学者や、エンジニア、アーティストなど、多様なキャラクターの人をプロジェクトに入れませんか?と、よく提案するんですが、いち早くはじかれるのがアーティストなんですね(笑)。それはたぶん、アーティストがプロジェクトに入ってくるときの、何が出てくるか分からなさによるのかなあと。

一方で2010年にスタートした北澤さんの【リビングルーム】は、その後注目される「シェアリング・エコノミー」や「コミュニティスペース」の先駆け的実験とも見えます。まさにアーティストは未来を提示する存在であった。余計なお世話なのかもしれないですが、今日ご紹介いただいた、3つのプロジェクトを振り返ると、【マイタウンマーケット】なら都市計画文脈でいう「住民参加型のまちづくり」の要素がある。主体的参加の姿勢を作ることって、都市計画文脈のまちづくりで一番苦労しているところなんです。「住民参加している風」を作るんだけど、地図を拡げて付箋を貼っても、なかなかそう自然にはいかない。でも北澤さんの作品は自然にみんなが参加していますよね。

あと誤解を恐れずに言えば、【サンセルフホテル】も、自律型のエネルギーを作る「オフグリッド・エネルギー」や、みんなで作る「Do it With Others」的キーワードに関わってくる。ホテル業の次の形も話題になることが多くて、そういう意味でも先取りしているように感じるんです。

北澤さんのプロジェクトは、7年後に、もしかしたら10年後に、一般社会の当たり前になっている。その「ありえるはずの社会」になっているんじゃないかなと思って。やっぱりその力を僕達が関わるようなビジネスプロジェクトに活かせるじゃないかって、ちょっと思ってしまうんですが。どうですか?

北澤 うーん、どうなんですかね。プロジェクトのはじまりでは、「シェアリング・エコノミーっていうのが来るだろう。社会にハッパかけよう」みたいな感覚は全然ありません。外からそう言われるのは別にオーケーなんですけど。

新しいシステムを社会化するのって凄く回り道が必要ですよね。アートプロジェクトの場合は色んな障壁を丁寧に取っ払いながら直行していくので、そういう意味では「世間より先にできていた」ように見えることはあるのかも。社会におけるアートプロジェクトの役割のひとつは、きっかけを生むことだと思います。ただその「きっかけ」は何も新しく何かを始めるきっかけというだけでなく、立ち止まるきっかけにも考え直すきっかけにもなり得ます。まぁだからこそ、アートプロジェクトに関わるアーティストがあえてビジネスプロジェクトに参加するのも面白いと言えるかも。

だけど実際、宿泊体験サービスを手がける某企業の方が事務所に来て「【サンセルフホテル】について話を聞かせて下さい」って言われた時は……正直戸惑いました(笑)。「超社会」的なアートプロジェクトのアクションから現実の社会的システムへの移行がそのまま可能ってことはなくて、多分前者を体験した上で、後者がもっと回り道をして作っていかないと。

 

「社会課題」だと分かった時にはもう遅い

松井 そうですよね。昨今、課題解決のみならず、問いを立てる強い力が必要で「スペキュラティブデザイン」などのキーワードも注目を集めています。しかし、必ずしも一つの組織や一人のクリエイターが、みずから問題を提起し問題を解決していかなくてもいいのかもしれませんね。アーティストの直行突破する力と、回り道をしながら進む社会の状態というのは、別々だったり、緩やかに繋がりつつ、分けてもいいのかも。

北澤 そうですね。そんな簡単に、ひとつの組織でアーティスト的な役割までできてしまったら僕が困ります(笑)。アーティストという存在はある種、特別枠だから色々やれているというか。そういう自負は持っていたいです。ただ、アーティストの中にも当然多様性はあります。

逆に質問ですが、アーティストにビジネス参画をしてもらうことを考えた時、どう選びますか? 実際、本当にわけ分からない展開にもなるだろうし、そういうリスクを持っているのがアーティストです。一概にアーティストを入れれば良いってことではないですよね。

松井 究極は個人の人柄やキャラクター次第かもしれませんね。

北澤 それはそうですよね。僕自身は、問題提起をするっていうことよりも、その手前が大事なんです。さっきの【DAILY LIFE】という日常を記録していくライフワークもそうですが。問題だとわかった時にはもう遅いというか。意識するポイントとしてはヌルいのかなぁ、と。

例えばアートプロジェクトだって実現の過程で対外的な言葉が必要な時は沢山あるし、ある種、問題提起的な言葉にまとめたりもします。場合によっては課題解決まで踏み込む言い方をすることも。だけどそれらはあくまで表面的な翻訳作業なんです。アーティストとして、僕がまず見つけようとしてるのは、そこでの言葉のもっと根源にある「何か」でしかない。「アーティストは問題提起に優れている」というお話を伺いながら、もっと手前をみていることを改めて感じました。

松井 アーティストの方って、観察する時間を大事にされていますよね。【DAILY LIFE】も収集する時間、インプットの時間がすごい。一日一日の自問自答の蓄積の熱量もすごいし、本当に観察されてるなあと。自己観察であり外部観察を凄くされている。

北澤 そうですね。【DAILY LIFE】はたぶんそういうツールにもなっていて。それをやることによって、流れ行く毎日のことをもう1回見るチャンスが出来たりとか、もしくは時間軸を超えた問題意識の連なりを発見したり。でもそれが日記でも、アルバムとかでも弱くて、僕の場合は独自のメディアの形にしないと上手くいかなかったんだと思います。
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「何かが起きている」を見せること

松井 ではこここから場づくりの話に繋げて伺います。北澤さんがアートプロジェクトとして作る場は、来る人によって活動や機能が変わるのが面白いなと思いました。どのように場をつくっていますか?

北澤 プロジェクトに参加する人たちは、好奇心を刺激されて集まってくるんです。そこには秘密基地っぽい要素があるかもしれません。例えば、【リビングルーム】は、商店街の中でシャッターを開けた瞬間に子どもが来たんですよ。掃除したり、カーペット敷いていたり準備しているときに。空き店舗のシャッターが開くと、まちの大人たちは、「新しいお店かな」「カフェでもできるのかな」と、目的を推測して噂するものです。そこであえて開けっ放したまま作業をすることで「ここは目的のない空間だ」というアピールをするんですね。そうすると予想を裏切ることになるので一方では怪しまれます。しかし、目的のない場所は秘密基地みたいで、まずだいたい子どもたちが寄って来る。そして、好奇心を内に秘めた人だったり、何かを抱えている人が誘われてやって来る。

【マイタウンマーケット】も、別にゴザは集会所の中で編んでてもいいんだけど、あえて外で編みました。そしたらコーヒーやお茶を出すのを協力してくれる人が来てくれたり、「ゴザじゃなくてカゴが編みたいわ私」とか言い出す人もやってきたりとか。それも良い。「何だかわかんないけど何かが起きている」状況を見せていくのはすごく大事です。

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商店街に突如現れた秘密基地のような【リビングルーム】はいつも子ども達でいっぱい。そのときどき、集まった物やアイデアによってファミリーレストランになる日もあれば、コンサート会場になる日も

松井 それが、アートプロジェクトだから回るのか、北澤さんの人間力で回るのか、興味があるんですけど。

北澤 その時々の活動や機能をもちろん僕も一緒になってつくったりしますし、それぞれのやりたいことができる場でありたいという個人的な思いもあります。でも結局は集まってくれた人たちの個性としか言いようがないとも思う。

松井 必ずそのまちの人と作る…委ねるというか、その辺の案配も絶妙だなぁと思うんです。【サンセルフホテル】のお客さんは、仮想カスタマーですか、リアルカスタマー?

北澤 リアルカスタマーです。お金も払っています。

松井 ということは、ホテルマン役のまちの人には相当なおもてなし力が求められますよね。普通のホテルだったらマニュアルが必要。でもマニュアル無しで、あれだけの一日体験をみんなで作っておもてなしできるのがすごい。それはなぜです?

北澤 【サンセルフホテル】の活動をはじめたとき、僕はプロジェクトの基本的な構造や最低限の要素しか提示していませんでした。つまり細かな一つ一つのことに、僕は答えを用意していないんです。というか答えがない。なので、進めていくうちに、例えば「集めた太陽光エネルギーの電気以外使わないって設定だけど、部屋でお風呂を使うことにしたら少しだけ別の電気使ってない?」みたいな小さな疑問が自然と生まれてくる。おもてなしのあり方はどうあるべきか、もたくさんの疑問のうちのひとつでした。

だんだん大きな疑問になって、「【サンセルフホテル】って一体何なんだ」とみんなで考えはじめるんです。「それをやると違うのか」「やってもいいのか」と。たぶんそういう思考が生まれることがアートプロジェクトの重要なところ。疑問が生まれて話し合って、みんなで決めるから、共有の「価値観」になる。その過程があるから、「サンセルフホテルの1日」をつくることができるんだと思います。マニュアルがないんじゃなくてマニュアルにできないんです。

 

アートは「きっかけ」を作るだけでいいのか?

松井 ありがとうございます。それではここから、会場のみなさんに記入してもらった質問を拾っていきましょう。「アートプロジェクトって、きっかけづくりだけで終わっていいの?」という質問、面白いですね。

北澤 鋭い質問ですね。

参加者 私は山間部でコミュニティづくりをやっている者です。そのまちでは本当に人口が減ってて、店のシャッターがどこも閉まっているような所。だからアートイベントに対する期待が非常に大きいんです。ただ難しいのは、アートイベントは根本的な解決にならない。その時はよくても続かない。人口増にも繋がらないし。今日のお話を聞いていて、きっかけづくりとしては面白い試みだなという気がしましたが、次にバトンを渡していく役割は誰がやるんだと。北澤さんは、プロジェクトの後はどう考えてらっしゃるのかなと。

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北澤 それでいくと、そのきっかけづくりの先の部分っていうのが、人口減に対する対応とか、空き家問題とか、それこそ社会課題ですよね。そこには多分、その課題に対する専門家が入るべきだと思います。それこそ、デザイナーだったり、建築家だったり。そういう人を呼ぶべきで、たぶん僕じゃないです。そこはできない。僕はやっぱり、ある種の「誰のものでもない実験」をしてるんです。

要するに、その地域がどういう問題を持っているかは気にしますし、今の社会情勢どうなっているんだって気にするけど、結局そこの解決を見ていない。その状況を使ってどう飛躍できるかっていう実験をしている。「社会課題をどう解決するか」ではなくて「人間の課題をどう越えられるか」に挑戦しています。そういう意味では「きっかけづくりだけ」と言われてしまえば悔しいんですけど、そもそも役割が違うのかなと感じました。

「地域に入る=地域課題を解決する」ってだけではななくて。むしろ、そうじゃないフィールドとして地域を見るという視点も忘れてやいないか、と。そこも問わなきゃいけないのではないか、という立場です。

参加者 非常によくわかります。

北澤 あ、ほんとですか!?

参加者 はい。地域に入ってプランナーをやって下さいと北澤さんに言ったら動けなくなってしまいますよね。そういう意味では、それで縛ってはいけないなと思いました。

北澤 そういうオーダーの場合は、知り合いを紹介します(笑)。

松井 その逆側の視点からすると、「地方創生のイベントとして、アートが安易に消費されていませんか?」という質問も。

北澤 なるほど。言い換えれば「アートって本当に地方創生をやる必要あるの?」という問いですよね。「そのためのものだっけ?」と。ここにもちゃんと立ち返らないといけないですよね。

松井 そうですね。僕も去年、茨城県北芸術祭に鑑賞者として訪れましたが、アートを観ながらまちに触れて、観光都市としての面白みを感じて。また来ようと思って。でも、そこはアーティストに全部を世話させる必要は全然なくて、プラットフォームとして設計する側、県やプロジェクトパートナーが緩やかに引き取るような役割分担が必要だと思いました。

北澤 アーティストも、中途半端な散らかしっぷりは良くないですよね。色んな可能性を秘めたものを散りばめる、という意味での散らかし方です。その先に見えてきた可能性の整理と引き取り方がある。当然その地域の人びととの筋の通った「健全な共犯関係」が前提です。

自己反省の意味でも、地域のこの先とかを意識しすぎても多分ダメで。散らかしっぷりの良さと、整理っぷりの良さは両方必要なのかなと考えます。ただ一括ではできないんです。しかし、その「散らかしと整理の一括がありえる」とアートプロジェクトがどこかで示して来てしまったんだと思います。だからこういう悩ましさが出て来ているんですね。

 

課題解決思考への違和感

参加者 デザインを勉強している者です。北澤さんのお話を聞いていて、プロジェクトの最初のとっかかりの見つけ方が全然違うなと感じて。デザインを学んでいる人は、社会問題をベースに考えがちで、「◯年後の日本がどうなるか」を見越した上で、その課題に気づいてもらうためにアプローチしていくことが多い。一方で、北澤さんは、社会と自分と他者の間から違和感を起点にしていて、それが今の社会の流れに合致していった印象です。

デザイン側として気になってしまうのは、そんな北澤さんの今までのアートプロジェクトは人の好奇心を刺激して、どんどん進んでいく。プロジェクトとしてもどんどん面白い形になっていく。それが果たしてデザインプロジェクトにおいては、可能なのか気になります。つまり、社会問題を背景に、やっぱりちょっと頭が固くなってしまう。ミッションとしてこれを解決しなきゃいけないって進めるものと、うまく言葉にできないんですが……どうやっていけるのかなと気になっています。

北澤 伝わりました。ありがとうございます。松井さんに答えていただく話かなとも思うんですが、その文脈で言えば、フォーカスを社会という大きなものに当てた場合、社会課題ありきでデザインプロジェクトをはじめると決めたときに、前提を問うべきだと思う。必ずしもアートをやる必要はないけれど、その社会課題が本当に課題なのか、確かめなきゃいけないんじゃないでしょうか。

実感がない限り、ちゃんとしたものなんて作れないと思う。社会課題ありきでスタートしたとしても、そこに接近し、そこに何が起きているのかを確認し、そこで対話し、その時の違和感から始めることはできるはず。個人と個人で会って、実感を持つことは、デザインプロジェクトでも十分やるべきでないでしょうか。

参加者 確かにそうですね。例えば地域の中でも問題が複雑すぎだったりする。色んな人がそこに住んでるし色んな人が絡んで来ているから、色んな人に話を聞きながら、「思っていたのと課題が違う」みたいなその違和感は確かに凄く大事にしなきゃいけないですね。

松井 僕も課題ドリブンに食傷気味なのは、正直なところです。人間はちょっと求め過ぎになってるかもなあと。課題ドリブンばかりがデザインの役割じゃなくて、少し「そもそも」みたいなところを考え初めてもいい時期なんじゃないかな、デザインプロジェクトも、という風には思ってもいます。

北澤 もちろん、住んでる上での現実的な問題の解決は大事ですけどね。タチが悪いのは外から入って、自分なりの切実さを抱えないまま何かすることなんですよね。それについては逐一内省するとともに警鐘を鳴らしたいとは思います。

松井 わかった気になって、ですよね。うん。

 

違いを探す時代からその先へ

松井 じゃあ最後の質問。北澤さん選んでください。

北澤 「音楽は社会の中でどうありえるんでしょう?」という質問も面白いですね。音楽と美術とかもね、デザインとアートぐらいのかけ離れたものなのかもしれないですけど、インドネシアだと全部同じ。

なんだか、日本でアーティストとして生きていると、常にアーティストでいないといけない感じ。それ以前にベースは人間なんですが……それは誰しも同じですよね。だからある時は音楽家になってもいいし、読書家になってもいいと思います。インドネシアのバリ島で代々暮らす人びとは、お祭りでしょっちゅうに悪霊になったり聖獣になったりするし、当然仕事もするし村や家族の一員でもあります。言わば最初っから「個人」ではなく「分人」的なんですね。それが普通なんです。音楽も同じで、ゲストハウスをやってるおじさんがガムランを持ち出して仮面劇の踊りに合わせて驚くほど上手に弾く。役割を分けるのではなく、役割を行き来しながら担い合っているんです。

「アートプロジェクト」と「デザイン――例えばコミュニティデザインとかソーシャルデザイン――プロジェクト」は、似てるだけにどこかで「違い」を探して来たんだと思いますね。「コミュニティデザインに対してアートプロジェクトって何なの?」「問いの設計だよ」みたいな。その言葉探しがもうそろそろ飽和状態の今、自分のフィールドに固執してそこから他を比較したり取り込もうとしてしまう「統合的ふるまい」から一回自分を開放して、どうコラボレーションできるのかを考えてみたい。

そんなことを「アートプロジェクト従事者」「デザインプロジェクト従事者」みたいな人たちが頭をリフレッシュしながら、ちゃんと語り合わなきゃいけないし、それはどんな職種や立場の人でもそうだと思うんです。100BANCHがそういう場になっていくのかな。というところで、この場所のこれからにもつながる良いプレイベントになったのではないでしょうか(笑)。

松井 最高の締めをしていただきましたね(笑)。 ぜひインドネシアから戻った際には、またコラボレーションのお話をさせてください! 今日は本当にありがとうございました。

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構成&テキスト:中田一会