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《ありえるはずの社会》と《アーティスト》の関係を科学する -解体新所#05レポート- 【前編】

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新しい《場》を作る実践者とともに、そのユニークな構造を考察するトークシリーズ「解体新所 ―まだ名前のない《場》を科学する―」。第5回(2017/7/4)は、美術家・北澤潤さんをゲストに迎えました。ホストを務めるのは、創発空間を手がけるプロデューサーで、解体新所の”代表研究員”松井創(ロフトワーク)です。

北澤さんが生み出してきた「作品」は、団地の一室にホテルを出現させたり、商店街の空き店舗に物々交換でリビングルームを作るといった、《場》を通じて人と人が協働していく「アートプロジェクト」。まちづくり的「課題」や、ビジネス的「与件」もない中で、プロジェクトを立ち上げ、人々を巻き込んでいく表現とは? その活動の目的は? そして、そこから見つめる「社会」や「未来」とは?

たくさんの問いを抱えてスタートした解体新所#05。会場は、渋谷に新たに生まれた実験区「100BANCH」です。前編は、北澤さんのプレゼンを紹介します。

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わたしたちは日常によって形づくられている

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スライドの1枚目は北澤さんの気になる言葉。「今日は自分の固定概念をちょっと外しながら話していきたいし、そう聞いてもらいたいですね」と紹介

わたしたちの“好み”や“趣味”、“これがいい”という感覚はどこから生まれるのでしょうか。何になりたいとか、どこに住みたいとか、どんな色の服が着たいとか、どんな人がタイプだとかはどのように現れるのでしょうか。<わたしが何で構成されているか?>は、あまりにも漠然した問いです。<ひとりひとりの違いはどこから来るか?>と言い換えできます。シンプルだけど扱いに困る疑問です。

「日常」という、すべての人が持つものとその影響力について考えていたことがアーティストとしての起点だという北澤さん。

「芸術であれば作品の形を何かしらの意味をもって決めているはず。意味がないものをあえてつくろうとしても、どんな形にしようかと考えている。では、人は何に影響を受け、その形を選んだのだろうか? 僕は“表現の手前”のことがいつも気になってしまうんです。

どこの国の人として生まれ育ち、どんな言語を話してきたか、誰と会ってどんな対話をしてきたか、どんな境界線上で生きてきたのか。その繰り返しによって僕たちはアイデンティティを認知している。ならば、自分は『日常によって作られている』と、10代のころから漠然と考えてたんです」

「普段はあまり見せないんですが…」と少し躊躇しつつ、プレゼンテーションの冒頭でデビュー作品を紹介しました。北澤さんが若干19歳で手掛けたプロジェクト型の作品《揺蕩う旗なゆた》。 新潟と佐渡ヶ島、ふたつの土地を往復するカーフェリーに旗を掲げる試み。旗は、2つの港の人たちと10日間かけて324枚を作るプロジェクトでした。

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デビュー作《揺蕩う旗なゆた》(2007年)

作品に取り組んで発見できたのは、「新しい位置づけの自分が生まれたこと」だそう。

佐渡ヶ島は北澤さんのお父さんの故郷。それまでは「毎年夏休みに来る、北澤さんちの潤くん」だった一人の少年が、突然、まちの人に呼びかけて何やら作りをはじめ、地元の船会社と交渉する不思議な存在として捉えられました。

「いつもの日常の中で新しいプロジェクトをはじめることによって、新しい自分としてその場にいました。それは新鮮だった。僕は、そういう自己表現としてプロジェクト型の作品を始めたんです」と、振り返ります。

「非日常」ではなく「もうひとつの日常」を

アイデンティティの元になる「日常」と、プロジェクトによって変容する「日常」。それらの言葉から、キーフレーズ「もうひとつの日常」が生まれました。

「僕たちが、日常によって作られている存在だとするならば、もう1つ、別に日常を設定することはできないだろうか。いつもとは違うことが起こり、いつもは会わない誰かと出会い、『もうひとつの日常』に『もうひとりの自分』が生まれるような。『日常と非日常』ではなくて、『日常ともうひとつの日常』がある世界をつくれないかなと思ったんです」。

そんな発想から、以降のプロジェクト型作品が生まれていきました。病院、島、リビングルーム、マーケット、ホテル……ごく普通の《場》が当たり前の状況とはズレて現れる、そんな体験を伴う作品です。

 

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《病院の村》(2008年、茨城県つくば市 筑波大学附属病院)
病院の中庭や渡り廊下にテントを建て、プロジェクトメンバー11人が「村人」としてテントを拠点に3週間病院に同居するプロジェクト。村人たちはそれぞれのノートを持ち、院内をゆっくり巡り歩くなかで、出会った人、話した言葉、目にしたものなどを思い思いに書き留める。書き手も書いた場所もさまざまなノートの内容をひとつのタイムラインに編集し「村誌」として期間中毎日発行した。(>>詳細

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《浮島》(2009年、新潟県新潟市信濃川下流域)
都市の河川域に人工の島を作るプロジェクト。河川工事用の平らな船を岸辺に浮かべて、土と藁でできた小屋や灯台、集会所を設えて数人の「島民」たちが常駐をはじめる。訪れた来島者との対話の中から生まれたアイデアによって、島のなかに野菜が育ち、料理がふるまわれ、歌が生まれて風車がまわり、一晩の祭りも盛大におこなわれた。(>>詳細

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《リビングルーム》(2010年〜、埼玉県北本市 北本団地、徳島県徳島市両国本町商店街、ネパール連邦民主共和国 カトマンズ サクー、秋田県北秋田市鷹巣など国内外で開催)
商店街の空き店舗にカーペットを敷き、周囲の家を訪ねて不要な生活用品を集めながらまちのなかに「リビングルーム」を作るプロジェクト。一つ一つの品をカーペットの上に配置し、地域のどこにでもある居間のような空間をつくりあげたのち、地域住民が自宅にある生活用品と物々交換できる場所としてひらく。物々交換をとおして内装は日々変化しつづけ、それに合わせて「リビングルーム」の活動も予測できない変化をつづける。(>>詳細

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《マイタウンマーケット》(2011年〜、福島県相馬郡新地町 小川公園応急仮設住宅)
仮設住宅のなかに「手づくりの町」を作る行事。2m四方のカラフルなゴザを編む作業を仮設住宅の集会所ではじめ、その作業に自然とあつまった人びとと共につくりたい町について話し合う。編み上がったゴザを組み合わせた上に、思い思いの「町のパーツ」を簡易的に設え、それらが市場のように立ち並ぶことで「手づくりの町」があらわれる。大きな震災を経験し、ふるさとの再建を余儀なくされた土地のなかで、「マイタウンマーケット」を地域の文化行事として育むことを通して、町について思考し、創造する力を次の世代の生きる技術としてポジティブに伝承していく。(>>詳細

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《サンセルフホテル》 (2012年〜、茨城県取手市 井野団地、台湾台北市中正区南機場団地)
団地の空き部屋を手づくりの「客室」に変え、一泊分の電力を太陽光エネルギーによって賄う、不定期出現型ホテル。団地の夜空と空き部屋に宿泊客とホテルマンが一緒になって「太陽」と「ホテル」をつくりあげる体験をとおして、人と人、人と自然の関係性を再構築する習慣となる。(>>詳細

「もうひとつの自分」を創造する

想像してみてください。いつも眺めている地元の川に、ある日突然、《浮島》ができて藁の家が建ちはじめ、人々が楽しそうに暮らしだしたとしたら。馴染んだ商店街のど真ん中に、何も売っていない、ただ人が集まり毎日変化する、みんなの《リビングルーム》が現れたとしたら。

きっと最初は”怪しいな”と思い、次に”何をしているんだろう”“誰がやっているんだろう”と気になる場所になるはず。うっかり足を踏み入れて居心地がよかったら、そこにいるのはいつもの自分とは違う存在かもしれません。その特殊な場には、家族や学校や会社で与えられている<いつもの役割>が無いからです。しかし、完全に匿名の人間になれない。ちょっと曖昧な自分です。<もうひとつの日常>で<もうひとりの自分>になるのは、ちょっとこそばゆくて落ち着かないかもしれない。でも同時に気持ちよくて、開放的な体験かもしれません。

北澤さんの作品を通し「もうひとつの自分」を感じた人達はたくさんいます。《マイタウンマーケット》であれば自分で考えたお店の「店主」、《サンセルフホテル》であれば宿の「女将」です。

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《サンセルフホテル》の「名物女将」も、プロジェクトに面白がって参加したまちの人

「ありえるはずの社会」を試してみたい

北澤さんはアートプロジェクトに「ありえるはずの社会」を試したい想いがあります。

「あるべきとか、こうじゃないといけないでは無いんです。”ありえるはずでしょ”“こんな社会があっても良いんじゃないか”という感じ。みんなで想像力を持って社会を考えていく、そういう飛躍を与えるのが、アーティストとしての僕の社会への関わり方です。

例えば、《サンセルフホテル》を団地でやる理由は、震災直後から通っていた福島県のことが関わっています。原発事故があって、エネルギーの問題からもう一回自分たちの社会を考えたいと思った。団地と原発は、住宅供給とエネルギー供給。東京の人口増加に対応する意味では同じ機能を担ってきました。象徴的な『夜空の太陽』を浮かべて人間と自然の関係を問い直しつつ、こうした社会の抱える問題とその背景も交えながら、ではこの先にどんな社会があり得るのか? こんな社会あってもいいんじゃないの?という提示でもあるんです。」

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《サンセルフホテル》では必ず宿泊客とホテルマンが一緒になって「ソーラーワゴン」を押して団地街を散歩し、一泊分の電力量を蓄電する。

世界ってそんなに簡単に答えがでないはず

さまざまな土地で、アートプロジェクトを介した一時的な《場》を出現させ、当たり前の日常を変容させる活動を国内外に拡げてきた北澤さん。その一方で、「サンセルフホテルの先のことを考えるのが難しかった」「今はアーティストとして変わり目にいて、アートプロジェクトのその先のことを考えるようになった」といいます。

「プロジェクトの成功事例ができてしまった後は、“こうしたら好奇心を刺激されて人が来るんじゃないか”と分かった感覚を持ってしまったんです。そして、分かったふりをしていないかと自分に問うようになりました。世界ってそんなに簡単に答えがでないはず。問いを社会に投げかけるはずのアーティストである僕が、自分自身に投げかける問いを見失ってたのかなって思いました」

ビジネスであれば、メソッドを確立する、成功事例として知られることは喜ぶべき展開です。しかしアーティストにとってはまったくの逆。国内外さまざまなアートプロジェクトでキャリアを積み、ある種の「型」が見えてしまったように感じた北澤さんは、2016年、海外への長期滞在を決意します。行き先はインドネシア。国際交流基金アジアセンターからのサポートを受け、1年間現地で暮らしました。

そこで取り組んだのは、日本にいる頃から続けてきた《DAILY LIFE》というライフワーク。1日1枚の記録を、日記と写真や素材のコピーで構成する本づくりで、購読を希望する人に定期発送するメディアです。

 

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《DAILY LIFE》1日1ページ、日記とともにその日の写真や資料、レシートなどがコピーされ綴じられていく本。年間購読を希望した読者に向け、インドネシアからも数ヶ月ごとに発送した。

アートプロジェクト、その先へ

「インドネシアでは、ちょっと言い切れないぐらい色んなものを見て来たのですが、その過程は《DAILY LIFE》にまとめています。感じたこと、考えたことをできるだけ残す。これは何かを誰かのところで生み出す前に、自分の日常についてもう1回ちゃんと敏感になるための方法なんです。そして、気づきが重なった時にプロジェクトが生まれるっていう、当たり前の健康さを取り戻せました。疑問形に対峙するマインドが凄く大事というか。この疑問って何なんだろうとちゃんと考えておくこと」

インドネシアの異なる文化で時間を過ごし、日常を観察する力を再び取り戻したことによって、次のやりたいことが見えてきたという北澤さん。新しい場、新しいプロジェクトをインドネシアと東京の双方でつくろうと動きはじめています。

「今、目指しているのは、おそらくアートプロジェクトのその先です。僕が活動を始めた時は、アートプロジェクトという言葉は全く社会化されていなくて。社会の既存のカテゴリーにないからこそ、あえて曖昧に『アートプロジェクト』と呼ぶことで未分化な価値を保つ必要があったんです。つまり、何でも答えを急ぐのではなく、余白が必要だっていうことを含めて、アートプロジェクトを社会化しようとしてきました。でも最近はプロジェクトも増え、その価値観も世の中で言語化されはじめているように思います。だから、僕自身は次のことをしていきたい。」

北澤さんが人々に向けて投影する「ありえるはずの社会」は、次はどんなアプローチになるのか。とてもワクワクするプレゼンテーションでした。後半はトークセッションと質疑応答です。
 

構成&テキスト:中田一会